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ドメーヌ シュロス ヨハニスベルク

シュロス・ヨハニスベルクの葡萄栽培の歴史は、シャルルマーニュ大帝 (A.D.768-814)の存在で始まる。

伝説によると素晴らしいことに大帝はインゲレルハイムの宮殿から、ある特定の丘の雪解けが早いのに気付き、これはワイン生産に理想的な場所であるという結論に達し、最初の葡萄樹を植えるよう命じた。

その丘の麓にあるエルステルバッハの流域のそれら葡萄畑が、 6Fuder(6,000リットル)のワインを生産したと、817年8月4日に彼の息子Ludwig der Frommeにより記録されている。

我々は' Praeceptor Germaniae'としても知られるマインツの大司教Rhabanus Maurusが、850年にヴィンケルに住んでいる間にこの丘を“大司教の丘”と命名したと考えている。1100年頃マインツのベネディクト会修道士達がここに、ラインガウで最初の修道院を建設した。1130年ローマバシリカ聖堂がバプティスト派セント・ジョンへ奉献されたのを受け、この丘を始め、修道院と村はヨハニスベルクと改名された。

修道士達は、購入、交易、そして贈与を通して彼らの地所を、今日ある様なエステート全体を包含するまでに拡大し、同時に近隣のワイン生産者に経済効果の規範を示した。

当時は 1525年の農民一揆での略奪や、1552年のマルクグラフ・アルブレヒ・アルキビアデス・フォン・ブランデンブルク-クルムバッハによる占領など困難と試練の時代であった。

1563年にこの修道院は解散し、三十年戦争の間、担保として帝国収税官フーベルト・ブリーマンと彼の義理の息子、ケルンのG. フォン・Gieseにより差し押えられていた。

1716年にこのエステートは、フルダのプリンス-アボット(大修道院長)、コンスタティン・フォン・バトラーにより買い取られた。教会と築後約900年のセラー以外の修道院の建物を取り壊した後、彼は宮殿を建築させ、教会はバロック式に改築された。1721年に完成した主要なセラーは、セラーに生える菌Cladosporium Cellareのおかげで理想的な環境を保持している。

フルダのプリンス・アボットは、見捨てられていた葡萄畑の復興に熱心に取り組んだ。 1719年と1720年に294,000本もの葡萄樹が植えられた。38,500本のリースリングを植えると同時に、ラインガウとその境界をはるかに越えた地域のワイン生産の新時代を先導した。今日、ヨハニスベルク リースリングはアメリカ合衆国やブラジルなどをはじめとする世界の多くの場所で、この葡萄品種を表すのに同義語として使用されている。

毎年の収穫高は 1716年以来定期的に記録され、1775年以来常に最も素晴らしいワインがこのワイナリーで瓶詰めされている。そして同年、ある事件がワインの品質を決定的に向上させる発見へと導いた。

ヨハニスベルクの収穫の密使は、フルダのプリンス -アボット(大修道院長)による収穫開始の許可を得、戻るのが遅れたが、その時既に熟し過ぎた葡萄はしなびて腐敗し始めており、これは修道士達には絶望的なことであった。しかし彼らの忍耐は報われた。

はからずも最初に収穫したシュペートレーゼ(遅摘み)は、いわゆる貴腐菌、または“ボトリティス シネレア”の恩恵に預かることとなり、さらにラインガウのリースリングの世界的名声を打ち立てた、アウスレーゼ、ベーレンアウスレーゼ、トロッケンベーレンアウスレーゼの収穫開始を可能にした。 1776年4月10日、当時の管理人ジョー・ミカエル・エンゲルトは、「このようなワインをかつて口にしたことはない。」と記録している。

1802年フルダとヨハニスベルクの両修道院は俗化され、ヨハニスベルクはオランジェの王子の所有地となった。しかし1806年ナポレオンによって剥奪され、ヴァルミーの君主、マーシャル・ケラーマンに贈答された。彼は1813年までこれを所有した。1813年から1815年までは、当時の同盟国(プロイセン、ロシア、オーストリア)によって管理されていたが、ウィーン会議でオーストリア皇帝ハプスブルクのフランシス1世に贈られた。1816年7月1日皇帝は、彼の首相、メッテルニヒ・ヴィンブルクの王子クレメンス・ヴィンツェスラウスに、ヨーロッパの平和を導いた彼の秀でた手腕を評し、これを贈った。この贈り物は、ハプスブルク家、または彼等の法定相続人に収穫量の十分の1に匹敵する、毎年の十分の1税を支払う義務を伴った。

何世紀にもわたりこの修道院とシュロス・ヨハニスベルクの各ワインは、ドイツで生産された最高のワインの造り手として彼等の評判を維持した。その優雅さ、果実味、そして風味は、美食家 と消費者を一様に喜ばせると同時に、より古いヴィンテージのワインは、その薬効のある品質のために評価されている程である。

シュロス・ヨハニスベルクの葡萄畑は 86エーカーに及び、リースリングのみを栽培している。最長250メートルの広いセラーは、750,000リットルの許容量を備え、専門家の管理の下過去何世紀もの間と同様に、ワインを瓶詰めするのに適した時期まで、木桶で熟成される。

葡萄栽培学的に見てシュロス・ヨハニスベルクは、 1971年のドイツワイン法により定められている通り、“Ortseil”、又はヨハニスベルク共同体の独立した地区である。従ってそのワインは、葡萄畑がシュロスを取り囲んでいる為更に葡萄畑の名称が付加されることなく、過去何世紀を経てもいまだシュロス・ヨハニスベルクと表されている。

全てのラベルには 1830年以来、エステートの管理人のサインが明記されている。

以前はワックスシールであったが、キャップの色は、過去 170年間違った品質を表している。新しいドイツワイン法により現在示されているのは下記の通りである。

黄色シール クオリテーツバイン (Qualitätswein)
赤色シール カビネット (Kabinett)
緑色シール シュペートレーゼ (Spätlese)
ピンク色シール アウスレーゼ (Auslese)
ピンク /金色シール ベーレンアウスレーゼ (Beerenauslese)
金色シール トロッケンベーレンアウスレーゼ (Trockenbeerenauslese)
青色シール アイスワイン-ベーレンアウスレーゼ (Eiswein-Trockenbeerenauslese)