マサンドラ ワイナリー

ロシア
 
クリミアの黒海沿岸、ヤルタの西端に、マサンドラ・パレス・アンド・インペリアル・ワイナリーがあります。ワイナリーは、三方を山々に囲まれ海に面する美しい公園の中にあり、自然にできたすり鉢状の土地に、整然と手入れされた薔薇園や木立、潅木が広がっています。
1890年代に、ロシア皇帝が、近くのリヴァディアの避暑用の宮殿にワインを提供する「世界一のワイナリー」をマサンドラに作ることにしました。建築にあたってはグルジアから炭坑夫を呼び、山腹に深いトンネルを掘らせて3段のセラーを作りました。各段には、長さ150メートルのトンネルが7本平行に走り、それを横切る回廊で結ばれています。気温は理想的で、常に摂氏13/14度に保たれています。マサンドラは世界でも最高のワイナリーの一つに数えられており、これにまさるのは、おそらくシャンパーニュのものだけだろうと言われています。
1917年の革命後、ワイナリーは、国の新しい指導者達に飲まれるワインや、世界中のロシア大使館で供されるワインの製造に使われました。ここで作られるワインは極上で、ほとんどがデザート用の白ワインと強化ワインです。マサンドラ・コレクティブは、1936年以来、Livadia, Gurzuf, Tavrida, Alushta, Sudak, Maloretchenskoye, Morskoye, Veselovskoye, Privetnoye のワイナリーを傘下に置き、クリミア南岸のワイン造りのほとんどを支配してきました。従業員数は5,000名、所有するぶどう園は4,400エーカーにおよびます。
マサンドラは、提携ワイナリーと共に、28種類のワインを醸造しています。Alushtaでわずかに作られている赤ワインを除くと、醸造しているワインはすべて強化ワイン(ポルトまたはマデイラ)か、デザート用ワイン(ミュスカ、トケー、ソーテルヌ)です。
1991年に共産体制が崩壊し、ウクライナが独立した後、ロシアでのそれまでの市場が大幅に縮小され、ワイナリーは大きな困難に直面しました。しかし、今日では、裕福な「ニュー・ロシア人」たちのおかげでワイン市場が再構築される兆しが見られ、モスクワやサンクトペテルブルグに続々とオープンしている高級ワイン・ショップで、簡単にワインを買うことができます。
 
マサンドラ・コレクション
1891年から1897年まで、マサンドラで最初のワイン醸造家として活躍したのは、Prince Lev Sergeivich Golitzin(1845-1915)でした。この間、Golitzinは、世界各地からたくさんの上等のワインを収集しました。これらのワインは、彼が死ぬとすべてマッサンドラに寄贈されました。これがマサンドラ・コレクションとして知られているものの始まりです。コレクションは、ロシア革命の問も無傷でした。というのも、1918年1月にはボルシェビキ(共産党員)がソビエト権力を確立しましたが、マサンドラとクリミアは引続き白系ロシア人の支配下にあったためです。その後3年間は、ドイツやフランス、イギリスの介入もあって困難な状況が続きました。このような混乱の時代にあって、コレクションは安全に隠されていました。コレクションを貯蔵していたトンネルは、レンガで封じられ、見えないようになっていました。
1920年末、ついに赤軍がクリミアを掌握し、コレクションが発見されました。1922年に、スターリンの命令によって、ロシア各地にある皇帝の宮殿で発見されたワインがマサンドラに移され、その大部分がコレクションに加わることになりました。
1941年初め、ドイツの侵攻を恐れた食糧相H.Mikoyanは、醸造責任者に全コレクションを移動させる準備をするよう命じました。一本一本のボトルに番号を打って木箱に詰め、積込に備えました。時間がなくなってくると、新しい年代のものは番号をつけずに急いで詰められ、箱にだけ番号がつけられました。最後の積荷がトビリシの第1号ワイナリーのセラーに向けて出発したのは1941年9月21日のことです。そして11月8日にナチがヤルタに到達しました。1941年もの全部と1940年もののほとんどは、侵攻された当時、樽に入っていました。こうしたワインや大量に貯蔵してあって動かせないものについては、黒海に捨てることが許可され、海は見渡す限り赤く染まりました。ヤルタは、1944年4月16日に海軍の分遣隊よって開放され、すべてのワインをもとに戻すという膨大な作業が実行されました。こうして1945年2月にヤルタ会議が開かれた頃には、すべてのワインがセラーに戻されました。
 
マサンドラ・コレクションは、世界最大のオールドワイン・コレクションのひとつで、古くは1775年もののビンテージワインなど、その数は100万本を超えるといわれています。マサンドラ・ライブラリー・コレクションには、各ワインの見本が最低1本ずつ置かれています(非売品)。一般に販売されているワインは1891年ものからで、なかには皇帝の私印が押されているという稀少なものまであります。
1915年にGolitzinが亡くなると、Aleksandr Aleksandovich Yegorov がワイン醸造責任者の職を引き継ぎ、ロシア革命や第二次世界大戦などの困難な時代を通じてワイナリーを管理し、1969年に死ぬまでその職にありました。現在、Aleksandrの孫のYuri Dmitdevich Yegorov が、代表的な醸造家の1人になっています。
マサンドラのワイナリーは、クリミア南部の海岸線沿い、海とクリミア山脈にはさまれた180キロにおよぶ細長い土地に広がっています。
 
ホワイトミュスカ
Massandraのホワイトミュスカとピンクミュスカは、Massandraのクラッシックワインで、世界最高のミュスカワインとして多くの人々に認められています。通常レギュラーワインは仕込んでから2年で賞味されるよう作られていますが、Special CuveeはMassandra「コレクション」に属するため、6年を経過しなければ販売されません。このように素晴らしいワインは熟成のピークに達するのに40~60年を要しますが、色はゴールデンブラウンに深まり芳醇な香を醸成しながら、なお甘さの中に新鮮な酸味がほどよく混じり合っています。
ミュスカは葡萄の中でも世界最古の種で、現存する全種類のブドウの祖先と考えられています。ミュスカはおそらくギリシャ人によってクリミア半島に持ち込まれました。Massandra近辺で発見された葡萄の種子は、この地で2,500年以上もの問葡萄が栽培されてきたことを示しています。
ロシア皇帝のワインメーカーだったPrince Golitzinによる初期の試作ワインには、「ミュスカ・イケム」というラベルのついたものがあります。これは皇帝の好んだ有名なボルドーワインに似たものをクリミア半島で作ろうと試みたものです。
 
瓶詰め: 400~800リットルの古いオーク樽で2年間熟成後
平均生産量: 100,000ケース
アルコール度数: 13~16%
残糖: 1リットル中200~230グラム(Livadia 270 グラム)
ブドウ園: Massandra、Livadia、Gurzuf、Kastel、Red Stone
コレクション中の販売ビンテージ: [1896, 1903, 1905, 1910, 1914, 1916, 1918, 1920, 1923, 1924, 1928, 1929, 1931, 1934, 1936-40, 1943-66, 1969, 1971-77, 1979, 1984, 1986-88]
2年ものホワイトミュスカ-92ポイント-The Wine Advocate
 
 
ブラック・ドクトール
Yemin-Kara種とKefessia種から造られた、赤のデザートワイン。ブラック・ドクトールという名称は、幾つかのワイナリーにより、彼らの甘口デザートワインの為に使用されており、1980年までサニー・ヴァレー・ヴィニャードで造られた。マサンドラではもはや生産されていない。
ボトリング:容量400~800リットルの古いオーク樽で3年熟成した後。
アルコール度数:16%
残糖:1リットルあたり60~100グラム
葡萄畑:マサンドラ
 
 
カゴール
グルジア原産で、めずらしく赤い果汁と赤い果皮を持つサペラヴィ(Saperavi)種から造られた赤のデザートワイン。“カオール”とも言われる。;このワインとはほとんど類似点を持たないが、カゴールは、古いスタイルのカオールと同じ“黒い”色を持ち、また卓越した長熟するポテンシャルの為に知られる。カゴールはヴィンテージ・ポートとより多くの共通点を持つ。
 
ボトリング:容量400~800リットルの古いオーク樽で3年の熟成の後。
平均生産量:25,000ケース
アルコール度数:16%
残糖:1リットルあたり180グラム
葡萄畑:Ayo-Dag
 
 
コクール
コクールは南東クリミアのスダク地域でユニークに育った葡萄から造られたデザートワインで、200年以上前に使用されていた記録がある。コクールはマスカットより軽めのスタイルだが、幾つかの共通点を持つ。コクール種はジェノバ人がイタリアから渡来し東方クリミアに入植した際にもたらされたとされる。この葡萄樹はあまり丈夫ではなく、毎年良い品質のワインを製造できるわけではない。この葡萄は他にスパークリングワイン、辛口白ワイン、ホワイトポートスタイルのワインに使用される。
 
瓶詰め:400-800リットルの古いオーク樽で2年の熟成をした後。
平均生産量:40,000ケース
アルコール度:16%
残糖:1リットルあたり160グラム
葡萄畑:Surozh(Sudak)
 
 
GURZUF
ヤルタの真東の沿岸に位置する。ここはマサンドラ・ワイナリーの一つがある場所であり、更に最高のミュスカ、トカイ、ピノ・グリのいくつかを造る、Ai-Danil(セント・ダニエル)の小さな町を取り囲んでいる。
 
 
SUROZH
クリミア半島南沿岸の東端のワイン生産地域にある、重要な町Sudakの旧名である。コクールワインはここで造られる。
 
 

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