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カ ディ フラティ

ワイナリーと歴史

古代ローマ人の間ではすでに名高く親しまれていたルガーノと呼ばれるワインの存在が、16世紀にすでにあった文書で分かっている。1596年、法王シクストゥス五世の主治医でありワイン醸造学の愛好者であったアンドレア・バッチは、自著のDe Naturali Vinorum”の初版にこう書いてある。ペスキエーラとデセンツァーノ間で、見事なトレブラーニワイン(トレッビアーニと読むー編集者記)がつくられ、金色の発泡酒カンディア・ワインは最高3年間保存することができる。”カ・デイ・フラーティの農園は、シルミオーネ半島から遠くないガルダ湖の南側の畔に位置するルガーナの生産地の中心にある。面積は40ヘクタールを越え、粘土質の土壌に葡萄の木は植えられており、いくつかにその土地が区分され、そのどれもが特に生産性の高い場所に位置している。

農園が選んだ名前は偶然ではなく、過去のシルミオーネの葡萄栽培の歴史的な出来事、サンタ・マリア・デル・カルミネの金具をつけたカルメル修道会が、自らの需要と聖ミサのためにワインをつくる目的で葡萄園を設立することを決定したことを彷彿とさせることを意図している。修道院の閉会後の1782年に行われた私有地の調査でこのような記述が見つかっている。“フライアーの場所と呼ばれるキャヴィギーナ地域のサーミオン・ヴェロネーズの農園のルガーナにある家は、ワイン・セラー、キッチン、家畜小屋、暖炉などのいくつかの建造物からできており、上の階には二部屋ある小屋、屋根裏部屋、納屋、井戸、他の農事用の建物に隣接している脱穀場、川上にはワインセラーなど・・・。

農場とその支持者たち

1939 年以来、“セルミオーネ・ヴェロネーゼ”の農園があったのと同じ場所に建っているカ・デイ・フラーティの歴史は、ダル・チェーロ家の浮き沈みとつながっている。ドメニコ・ダル・チェーロと息子のフェリーチェは、ヴェローナ地方のモンテッキアにある家族の農場からシローネに移り、葡萄栽培家としての活動を始め、その事業は孫のピエトロに引き継がれた。彼はもっと最近になって、1969年に社名と商標が与えられた最初のルガーナの瓶詰めを行った。15年以上前から、彼の子供のイジーノ、ジャン・フランコ、アンナ・マリアが手伝うようになり、葡萄園の個人経営を行い、ダブル・グイヨー・システムを導入した。このシステムはイタリアや他の国々における生産/商品化システムである。

将来に向けたカ・デイ・フラーティの計画

この新世代は数多くの改変をとりいれた。VIDE(一流葡萄栽培家の協会)への加盟、ワイナリーの設備や構造の近代化、ワイン作りと葡萄園経営の新技術の実験演習、市場調査や、地域の市場シェアのみならず新市場の獲得がその改変であり、ルガーナの“カラー”と会社に対する評判を常に高めることを目的とした。

この新たな事業方法や、ルガーナという“地”に潜在する大きな力への強く誇り高い信頼の直接的な結果は、伝統のワイン以外に、地方の葡萄栽培に新たな道を敷く数多くの革新的なワインの導入により、カ・デイ・フラーティのワインの品揃えの幅が広がっているということである。“ベースとなる”ワインを再活性化したり、この地域にもともとあった葡萄の木や、ずっと以前にこの土地に順化した木(ルガーナ、バルベラ、グロッペッロ、マルツェミーノ、サンジョヴェーゼ)の可能性を慎重に判断し、カベルネなどの国際的な葡萄の木への出資を制限したり、赤のブレンドにおいて、この地域に歴史的な関わりのある葡萄の木の“ウェイト”を最大限にまで高めたり、という変化は、様々な方法によって得られたものである。唯一の例外として、プラットに関しては、シャルドネやソーヴィニョンのようなフランスの葡萄の木とルガーナの新しいコンビネーションを意図的に目指しているが、将来のための別の解決策が見つかるかもしれない。中でも、サン・マルティーノ・デッラ・バッタリアの地域で見られる古いトカイの栽培変種の復旧が挙げられる。

葡萄園やワイナリーにおける新たな仕事

会社が非常に誇りを持っている注意深い手工芸のようなスタイルの製造法をより向上させるために、ダルチェロの新世代は、栽培可能な土地の面積を増やすだけでなく、畑での仕事を強化することを決定したのであった。由に、ルガーナの一番中心に広い区画を所有する会社の存在がある。実験的な葡萄の木の栽培とワイン作りのためのセンターの協力で、同社はルガーナの特別なクローンを幾つか選択した。
その地域の特殊な微気候や、葡萄の木に与える湖の有益な影響に対する調査や理解には、連続的な段階があり、その目的は、乾燥しており水はけがよくよどまず、比較的高地である、最高の成熟条件、ワインに繊細さを与える石灰粘土質の土壌であること、という長所を有する丘陵の多い内陸地域の価値を高めることである。さらに、恐らくこの方が重要なことであるだろうが、同社は、葡萄畑の作業をより直線的な方法にすることにし、ダブル・グイヨーからグイヨー・サンプルに変えた。同時に、ヘクタールあたりの木の密度を高くするために、収穫の季節に二段階に分けて葡萄摘みをすることにし、厳しい選別を行い、いくらか実がやや熟し過ぎの時に摘み取って(危険な行程である)、ワインに安定した色、fat(こく)、キャラクターを与えるのである。最終段階であるワイン製造は、各畑ごとに別々に行い、中には白を赤のように扱って、果汁液の清澄、ろ過、冷却をせず、必要であればバトナージュか、あるいは軽い酸化のためにわずかなスキンコンタクトを行い、品種の風味をカバーしてしまうことを避ける為に注意深く樽を使用する。この作業は、急がず、需要のために急いで瓶詰めを行うこともなく、スティール、樽、ガラス容器でワインが熟成するのにまかせて、ワインが達する熟成度によって商品化する。

カ・デイ・フラーティのワイン、市場と評価

この非常に厳格で、間違いなく熱心なアプローチで、同社はより自信をもって外にアピールしてきた。総生産約40万本のうちの輸出率を30%という率にまで押し上げ、最高級のレストランに販売し、また伝統的な流通経路で販売し、外国市場において新旧のライヴァル会社と鎬を削ってきた。イタリアや外国の消費者に認められた以外に、同社は非常に好評を得ており、その最近のものが、“グイダ・ヴィーニ・ディタリア1999”がプラットに授与した“三杯のグラス”であり、1999年のインターナショナル・ワイン・チャレンジでは、1997年のプラットと1998年のbaseルガーナで二つの銀賞を受け、著名なワイン・ライターでマスターオブワインのニコラス・ベルフリッジの最近の著書で、北イタリアのワインに絞った“バローロからバルポリチェッラ”では賛辞が述べられている。